2016年10月4日火曜日

反戦のためのメモ

当時幡が谷の甲州街道沿いに住んでいた父は焼夷弾の雨のなかを家が焼かれていないか走り回った。暑さを壁づたいに走ったそうだ。残念なことに家は焼かれた。そんな話はそれだけで戦争のことはあまり話さなかった。 甲州街道沿い、今の明治大学の敷地は陸軍の弾薬庫だったようで、甲州街道は新宿から次々にやられたそうだ。世田谷にも軍関連の施設があった。東京農大もそうだったようだし、多分馬事公苑なんかもそうだろう。
いま昭和一桁生まれの方々の話をもっと聞いた方がいいと思う。 この方たちが最後の生きた記憶 もっと戦争のことを父に聞いとおけば良かった。

焼夷弾で焼かれている街を走る。ちょっと想像もできないことですが、そうゆうことが父の体験にあったこと。それが私にとっての戦争体験なわけです。だから反戦は私の中では昔から当たり前のこと。自然なんです。人の意思は純粋であれば強く伝達しますね。父の意思もそうであると思うし、それが私の中で生きている。そうゆうことが人には必要だと思うのです。だからいま生きている戦争の記憶を純粋な意思としてもっと伝えたらいいなあと思います。

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